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宮沢氷魚の幼少期は?大学やインターナショナルスクールなど学歴や偏差値、学校生活を調査

映画やドラマで活躍中の宮沢氷魚さんは芸能人のお父さんとお母さんを持つ俳優さんです。
また英語が堪能なことでも有名です。

宮沢氷魚さんの幼少期や学歴、どんな学生生活をおくっていたかなどご紹介してまいります。




宮沢氷魚の学歴(偏差値)

まず、宮沢氷魚さんの学歴からご紹介していきましょう。

宮沢氷魚さんは元「THE BOOM」のボーカル宮沢和史さんとタレントの光岡ディオンの長男として米サンフランシスコで生まれて東京で育ちました。

幼稚園から高校までインターナショナルスクールに通い、卒業後はアメリカのカリフォルニア大サンタクルーズ校に留学しています。

その後、「国際基督教大」に編入しました。

 

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幼少期

小さい頃はよくハロウィンをお母さんの実家のあるアメリカで過ごしたそうです。

https://www.mensnonno.jp/wp-content/uploads/2020/10/mn2011_modelnosugao2_01-741×1024.jpg(出典メンズノンノ)

「アメリカはハロウィンの本場でもあるので、かなり気合が入っていて、我が家では毎年母が手作りでコスチュームを作ってくれていました。」と語っています。

https://i.pinimg.com/564x/fc/5a/4e/fc5a4ef559d717be90a005d6c3d18af5.jpg
(出典https://www.pinterest.jp/)
髪の毛が少し茶系なのはお母さん譲りかもしれません。

インターナショナルスクール

宮沢氷魚さんは幼稚園から「セントメリーズインターナショナルスクール」に通っていました。
https://www.smis.ac.jp/

インターナショナルスクールは偏差値がありません。
次の理由からです。

日本の学校、大学の偏差値は塾・予備校などが一斉試験のデータから独自に算出しています。

インターナショナルスクールは志願者数も少ないうえ、志願者が国内にいるとは限りませので「一斉試験」が実施されません。

従って偏差値を算出するためのデータを第三者が所持していません。
そのため自校内で偏差値を算出しても意味がないのです。

「セントメリーズインターナショナルスクール」は国内にあるインターナショナルスクールでも難関中の難関だと言われています。
恐らく偏差値でいうならば70以上と想定されます。

元々がインターナショナルスクールは日本人のための学校ではなく日本にいる優秀な外国人の子弟のための学校であります。
それゆえ日本人が入学すること自体が難しいのです。

「セントメリーズインターナショナルスクール」の生徒は世界のトップクラスの大学に推薦で入学できるそうです。
宮沢氷魚さんはその学校に通っていたのですから、かなり優秀だったということですね。

卒業生にはクリス・ペプラーさん(タレント)マイケル富岡さん(DJ・俳優)ジョン・健・ヌッツオさん(テノール歌手)桐島ローランドさん(写真家・ファッションモデル)らがいます。

大学

宮沢氷魚さんは「セントメリーズインターナショナルスクール」を卒業後、米「カルフォルニア大サンタクルーズ校」に留学します。

英語力を磨くためですが、一時期アメリカ永住も視野に入れていたようです。

カルフォルニア大サンタクルーズ校(出典resumedia)
https://i1.wp.com/resumedia.jp/wp-content/uploads/2020/01/891462c6f982371154a090a4e35d1f45.jpg?w=400&ssl=1

「カルフォルニア大サンタクルーズ校」は1965年創設の比較的新しい学校でアメリカの成績評価方式で3.5(最高が4)という上位に位置する名門校です。
2年間の留学後、「国際基督教大」に編入します。
https://i2.wp.com/resumedia.jp/wp-content/uploads/2020/01/052ee28a6183ed5ce5de469fc8c3aecf.jpg?w=400&ssl=1(出典resumedia)

「国際基督教大」は偏差値65~76の難関校でお母さんの光岡ディオンさんも卒業しました。
卒業生には秋篠宮家佳子様や高村薫さん(作家)ジョン・カビラさん(キャスター・タレント)らがいます。

宮沢氷魚さんは環境学を専攻し、政治や物理、生物学など幅広い分野を学んでいます。

卒論には「東京都内の川の環境変化」と題して、江戸時代から川が変化していって社会にどう影響を与えたかを約100ページに渡って英語で書いています。

英語で書いているのが凄いですね。
いかに宮沢氷魚さんが英語に堪能しているかがわかります。




宮沢氷魚の学校生活を調査

宮沢氷魚さんはどんな学生生活をおくっていたのかご紹介します。

幼少期にはお父さんは仕事の関係で家にいる時間があまりなく、お母さんと過ごすことが多かったそうです。

お母さんも仕事で外出することもあり、芸能界は嫌いだと思ったこともあったようです。
また小学校時代には髪の毛の色(お母さんがハーフで宮沢氷魚はクオーター)でいじめを受けたこともあったそうです。

そんな宮沢氷魚さんを虜にしたのは野球でした。

10歳の時、横浜スタジアムで横浜対阪神戦を観戦、横浜の鈴木尚典選手の放ったサヨナラホームランに感動したのでした。

早速地元の少年野球チームに入ると持前の運動神経から才能が開き、小学校4年生から3年連続リーグの選抜メンバーに選ばれました。

プロを目指そうと中学では硬式野球の「世田谷ボーイズ」に所属しました。
この「世田谷ボーイズ」はプロの選手を輩出したような名門チームです。
https://i0.wp.com/resumedia.jp/wp-content/uploads/2020/01/cfab40585fd76f6adc62d7665f535303.jpg?w=300&ss
(出典resumedia)

しかし最初の頃は順風満帆でしたが次第に上手な子に抜かれ、レギュラーの座を失ってしまいました。
それでも練習は一生懸命やりとげ、高校でも野球を続けました。

宮沢氷魚さんは当時を振り返ってこう語っています。
「野球との出会いは努力、鍛錬の大切さを知り、プレーすることの楽しさを覚えました。」
https://www.sponichi.co.jp/entertainment/news/2019/07/23/jpeg/20190722s00041000496000p_view.jpg(出典スポニチ)

今でも家に帰ると弟さんとキャッチボールをするそうです。

留学先のカリフォルニア大サンタクルーズ校は800haを超える広大なキャンパスに牧場や森林、植物園があり、教室間の移動にはバスも使われるそうです。

宮沢氷魚さんはそうした環境の中でのびのびと大らかに学んでいたのでしょうね。

留学時代には友人とボロボロの中古車で2週間かけてネバダ、アリゾナをまわったそうです。
交代で8時間くらい運転して旅を終えたら車は廃車になったそうです。

過酷な旅でデスバレーでは気温55度にもなり、他にグランドキャニオン、セドナにも行きました。
https://tabinaka.co.jp/magazine/wp-content/uploads/2018/07/shutterstock_385947175.jpg
デスバレー(出典tabinaka)

ただただ、自然の中で山を眺めているだけで癒されたそうです。
こうした経験も宮沢氷魚さんにとって人生の財産となっているのでしょうね。

国際基督教大では環境学を専攻していたこともあり卒論のテーマとした川の研究をしました。
大学3年からはモデル(メンズノンノ)の仕事や俳優のレッスンを受け、充実した大学生活をおくっていたようです。

大学卒業にあたり、宮沢氷魚さんは「とても楽しい大学生活でした。家族、友達支えてくれた皆さんに感謝です。」と言っています。
https://i2.wp.com/resumedia.jp/wp-content/uploads/2020/01/03f4b0c66279398e77c4e866f80f3e33.jpg?w=400&ssl=1 大学卒業(出典resumedia)




まとめ

宮沢氷魚さんの学歴や学校生活などについて取り上げてまいりました。

宮沢氷魚さんが高校球児だったとは、しかも中学時代にはプロを目指していたとは意外でした。

それであのスポーツ万能、運動神経の良さは充分理解できますね。
益々宮沢氷魚さんに好感を持たれたのではないでしょうか。
これからドラマや映画で拝見するのが楽しみです。




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nakasete
こんにちわ。三重県松阪市在住のnakaseteです。よろしくお願いします。
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